皆さんは夢の中で夢をみたことがありますか?
夢を見ていて、あまりにも自分にとってハッピーなシチュエーションのために、これは夢なんだけど、このまま見続けたいたい~」と思ったことが私にはあります。
また、信じられないような出来事を前にして「これは現実でなく、夢じゃないか?」と、ほっぺたをつねったこともあります。
「夢のような」、とか「夢を見ているよう」と言いたくなるシーンは日常よくあります。
はるか昔(時空を超えそう?)、高校生の頃バイト先の大学生に淡い恋心を抱いたことがあります。慕うあまりにその人の夢をよくみたのですが、彼が予期せぬタイミングでバイト先に姿を現した時は、「これは夢?それとも現実?」と何度も確かめたのを覚えています。
また夢の中で別人になったこともあれば、夢の中で不思議といつも訪れる場所もあります。正夢に近い夢も見たことがあります。
夢とは不思議なものですね。
ところが、もしも夢の中のそんな自分こそが、本当の自分だとしたらどう思いますか?別の誰かによって夢を見せられているだけだとしたら?
今回は、NHK・Eテレで放送中の「モーガン・フリーマン・時空を超えて」10月7日「この世界は現実なのか?」に関連して、内容の紹介と個人的な感想を書いています。
- モーガン・フリーマン時空を超えて「この世界は現実なのか?原題''Is reality real?''
- 理論物理学の「量子の不確実性」全ては幻想らしい
- プラトンは知っていた「人は影しかみることのできない囚人」
- ホログラフィ原理・現実とは錯覚にすぎない
- 「私達は夢の中に生きている」お金もただの幻想?
10月7日「この世界は現実なのか?」
http://www4.nhk.or.jp/P3452/x/2016-10-07/31/30952/1988010/www4.nhk.or.jp
2016年11月11日再放送予定。
上記より引用させていただきました。
私たちが生きている世界は現実なのか?あるいは幻なのか? 自分に都合よく理解できることだけを選択して、自分にとっての現実を作りだしているだけではないのだろうか?
夢の中に生きている、あるいはコンピューターによるシミュレーションに過ぎないという説まで多角的に謎に迫る。
番組詳細は下記です。
「モーガン・フリーマン時空を超えて」は全米でシーズン6まで放送された人気科学ドキュメンタリー番組です。
わかってそうでいて実は何もわかっていない未知の分野がテーマ別に紹介されるのですが、この番組の面白さは、最新の研究や取り組みを一般向けに、親しみやすく解説してくれるところだと思います。
またいぶし銀の演技が光る、名優モーガン・フリーマン氏のナレーションが魅力で、ミステリアスで哲学的思想を盛り込むようなストーリーの時は思わず唸ります。
モーガン・フリーマン時空を超えて「この世界は現実なのか?原題''Is reality real?''
10月7日放送の「この世界は現実なのか?」は、その後しばらく余韻を引きずるほど、私にとってはインパクトある内容でした。
モーガン・フリーマン氏が、こんな風にを問いかけるところから始まります。
私達が生きている世界は現実なのでしょうか。あるいはすべて空想なのでしょうか。
私達が見ているのはありのままの宇宙か、幻に惑わされているだけなのでしょうか。
科学的な観点から、感覚だけでは知り得ない隠された現実を明らかにします。
生命や宇宙についての知識は根本から間違っているのかもしれないのです。
本当にすべてのものが実在するといえるのでしょうか。自分の見ている世界が他人の見ているものを同じだといえるでしょうか。
私達は五感で、この世界が現実だと認識しています。 存在するものが(五感以外の感覚)で錯覚だとしたら?
番組冒頭の「マジックが人が世界を認識する仕組みを逆手にとったもの」(アモーダル補完)という話から、最後の「夢の中で夢をみたことがありますか?」という哲学的な話で終わるまで、グイグイ引き込まれっぱなしでした。
そして放送を見終わった感想としては結局のところ、「何が何だかわからない」の一言でした・・・。
だからこそ、今回の深い内容に見応えを感じたのですが、色々な意味で示唆にとんだ話の連続だったのです。
俗っぽい人間の私でも時々、自分の人生なぜうまくいくときとそうでない時があるのか、運命ってやっぱりあるのかな、などと考える時があります。
色々な本を読んで、自分なりに答えの輪郭を、あいまいにでもつかもうとしているのですが、そんな自分への助言になるようなヒントを、今回の放送にもらった気がします。
私には専門的なことはさっぱりわかりませんが、今回の内容は「見えない世界がなぜあいまいなのか」を説明してくれていました。
実際には現代科学でわかっていることなど、ほんの宇宙の塵のひとかけらにすぎないのだそうです。。
理論物理学デヴィッド・トング氏は、量子力学を「最も優れた科学理論で宇宙を理解するための拠りどころです。」と述べました。
その量子力学では「現実とは影のようなもの」という見方をしているのです。
私達は自分が「何か」からできていると考えますが、その何かの大部分は「無」です。
原子の中を覗いてみると、そこにあるのは素粒子で、何もかもがあいまいにしか見えないのです。
現在把握できるレベルでの物質の最小単位は素粒子です。
電子のような素粒子は、私達の常識を超えた量子力学の法則に従って動きます。
量子物体は影の輪郭のようにあいまいです。
理解しがたいことですが、これこそが自然の原理だというのです。
それぞれの人の現実、他人と共有する現実、それらすべてを完全に信じるからこそ、私達の今があるのです。
現実には、今起きている万事は秩序だっているように思います。
それに原因が結果に結びつく世界に生きています。でないと困りますよね。
それなのに私も、また今これを読んでいるあなたも、ただの幻想なのだとしたらどんな感じがしますか?
第一線の物理学者や専門家に、真実は無だといわせるその「何か」は想像以上に物凄いらしいものらしい、などと思いを馳せてしまいます。
理論物理学の「量子の不確実性」全ては幻想らしい
サイエンスライターのジム・バゴット氏は、「すべての現実は人が頭の中で生み出した幻想なのです。」と禅問答の答えのようなことを言いました。
しかし私達の頭の外に存在する物理的な世界はどうなのでしょうか。
かっこたる因果関係に基づく自然界であれば、実在する現実を信じることができるのでしょうか?
「いくつもの現実が同時に存在し、常に変化を続け、あらゆる物事の結果が予想できないという、原子より小さな量子の世界では、私達の常識が通用しないのだそうです。
プラトンは知っていた「人は影しかみることのできない囚人」
今回の内容では、ここに「現実は錯覚以外の何物でもない」という哲学も入ってきます。
個人的に今回、一番強く惹かれたのは、ケンブリッジ大の理論物理学デヴィッド・トング氏が語ったことと、ギリシャの哲学者プラトンが2000年前に言い残した言葉でした。
プラトンはこう語ったそうです。
「人間は洞窟の中で、鎖につながれ、壁しかみることのできない囚人だ。」
「洞窟の中の壁には、外で営まれている暮らしが映し出される。やがて人は映っている影こそが現実と思うようになる。」
トング氏はこのことを「ほんの少し、量子力学に似ている」と述べました。
もっとも優れた科学である量子力学では、現時点では全てを理解することはできないのだそうです。
「私達に見えているのは影だけ。そして真実はもっと奇妙です。」
ホログラフィ原理・現実とは錯覚にすぎない
「かべに映る影こそが現実なのかもしれない」とは一体どういうことなのでしょうか。
人間や地球を含む宇宙そのものは、実際には全て錯覚なのだそうです。
「ホログラフィ原理に基づけば、量子物体の不明瞭なのは3次元空間に存在しない影だからということになります。」
「ちょっと信じられないことですが、私達が現実だと思っている世界は、宇宙のどこかから投写されたホログラムにすぎないということなのです。」
「プラトンは2000年前にそのことをすでに知っていたのかもしれないのです。」
しかし私達はこの理論で何をつきとめられるのでしょうか。
量子物体のすべての特性を完全に測定することはできません。それが量子力学の法則なのです。
例えば実際に、私は今これをパソコンのキーボードを叩いて書いています。「私」だと思っている「私」がではなく、架空の「私」だとしたら「私」は誰?パソコンのや今いる部屋の存在は?
これらはすべて影であってただの幻想ということになります。 「私」などいないのです。見ている「あなた」もいないということです。
誰かが作ったコンピュータのシュミレーションの可能性もあるといいます。
前回の放送「パラレルワールド」で、「この現実とは別にもう1つの現実が存在する」異次元説にも驚きましたが、コレについても「何が何だかわからない」の一言です。
こで一番素朴で究極のあの疑問が生まれます。
では、幻想を生み出しているものは一体何なのか?影しかみることのできない囚人の正体は?
考えれば考えるほど不可解です。
これが理解できた日には、お釈迦様のように菩提樹の下で悟りをひらくことができるのでしょう。
そして、答えは最後の哲学者のセリフに隠されているような気がします。
「私達は夢の中に生きている」お金もただの幻想?
モーガン・フリーマン氏のナレーション:
真実を見つけるのはなぜこれほどまでに難しいのでしょうか。
それはおそらく私達のいるこの宇宙は壮大な現実のほんのひとかけらにすぎないからでしょう。
私達は皆、夢の世界に生きているのかもしれません。
私達は皆、夢の世界に生きているのだという仮説もあります。
その説によると私達は皆、本当は「夢の世界に生きている」のだそうです。
哲学者ヤン・ベスタホフが言いました。
もしこの現実が夢だとすると、なぜ私達は法律に縛られているのでしょう。
なぜ火をふくドラゴンが街を破壊しないのでしょう。
信じられない話ですが、私たちは壮大な仮想現実の一部だという可能性があるのです。
だとしたら、私たちは何故生まれてくる必要があるのでしょうか。
一切が何もない幻想なのだとしたら、なぜここにいるのでしょうか。何をしてどう生きればよいのでしょうか。
ベスタホフ氏のこのセリフがそれに答えているかのようです。
すべてが夢だったとしても、たいしたことはないのです。
(ケーキを前に) 「これが夢の中で買った、夢のケーキだったとしてもやはり美味しい。」
「この世界が続く限り、夢でもシュミレーションでも問題はないのです。
私はやっぱり将来設計をするし。現実も同じように原因には結果が伴うのです。」
つまり、「たいしたことではない」のだそうです。
全ての本質は「無」ということなのかもしれませんが、どうやら私たちにできることは目の前にあるケーキを味わうことだけのようです。物事に執着するのもほどほどに・・・。
ああ、それにして結局よくわからない、現実が幻なのだとしたら、お金の存在や価値とは一体何なのでしょう?
ケーキを買うお金も仮想現実が生み出した幻ということになりますよね。
生きる上でも最大の切実な問題が「お金」です。誰もがお金とうまく折り合いをつけながら日々生きています。
私は銀座コージーコーナーのケーキより、アンリ・シャルパンティエのケーキを買いたいです。
お金も仮想現実であるのなら、それはどこからやってくるのでしょう。
ごくたまにですが、お金がふってわいたように現れることがあります。 ネット銀行に見に覚えのない入金があったり、棚ぼた状態でお金が入ったこともありますが、誰にでも似たような経験があるのではないでしょうか。さすがにそんな時だけお金が幻のように思えますね・・・。
ちなみに「お金はどこからやってくる?」のヒントや、仮想現実としてのお金の増やし方などが書かれていて、発想が面白い本がこちらです。
番組ではこんなふうにお金に触れていました。「お金は、人がその価値を信じた時に現実なる」と。
現代の消費社会は、私達の大衆意識が人類を進歩させるために生み出した、進化の結果なのです。 この社会が機能するために欠かせないのがお金です。お金はあらゆる意味で人間が生み出した最も現実的な存在です。
「2008年の世界的な金融危機ではお金の価値が一瞬にして幻と・・・」などと、お金のありようにも言及されていましたが、長くなったので続きは番組を~。
モーガン氏の今回のまとめで終わります。
この世界は現実なのでしょうか?私達が認識しているのは、現実のほんの小さな断片にしかすぎないことがわかりました。
しかしそれはたいしたことではないのかもしれません。 大事なのは私達が生きるこの現実です。
今回ご紹介した、NHKEテレ モーガン・フリーマン時空を超えて「この世界は現実なのか」は2016年11月11日(金)10時に再放送されます。ご興味あればぜひ!
最後までお読み下さりありがとうございました。
モーガン・フリーマン「時空を超えて」